決定的瞬間(日本語訳)という言葉の生みの親で、1947年ロバート・キャパ等と写真家集団「マグナム・フォト」を設立した事でも知られています。
関連リンク
マグナム・フォト東京支社
http://www.magnumphotos.co.jp/
1908年 | 8月22日、フランス、シャントルーに生まれる。 |
---|---|
1923年 | 絵画とシュールレアリズムに目覚める |
1927-28年 | アンドレ・ロートに師事して絵画を学ぶ |
1931年 | アフリカ、象牙海岸で1年過ごす。 |
1932年 | ニューヨークのジュリアンレヴィ・ギャラリ一にて個展を開く。作品はその後、マドリードでも発表される。 |
1934年 | 民俗学調査隊に参加し、メキシコで1年過ごす。現地で個展を開く。 |
1935年 | アメリカに暮らすが、写真は撮らず、ポール・ストランドと共に映画製作に関わる。 |
1936-39年 | 映画監督ジャン・ルノアールの助手をつとめる。 |
1952-53年 | ヨーロッパで暮らす。 |
1937年 | スペイン市民戦争のドキュメンタリー映画を製作する。 |
1954年 | デタント後初めて西側の写真家としてソ連に入国を許可される。 |
1940年 | ドイツ軍の捕虜となる。 |
1943年 | 2月、3度目で脱出に成功する。1958-59中華人民共和国建国10周年記念のため中国へもどり、3ケ月を過ごす。 |
1943年 | フランスで地下活動組織MNPGDに参加する。マティス、ボナール、プラック、ルオー、クローデル等、画家や作家のポートレイトを撮影。 |
1944-45年 | パリ解放を記録するプロの写真家グループに所属して活動すると共に、戦争捕虜をドキュメントした映画「ル・ルトゥール」を製作する。 |
1946年 | ニューョークの近代美術館が、本人は戦死したものと信じて「追悼展」を企画。開催準備のため1年間アメリカに滞在する。 |
1947年 | ロバート・キャパ、デビッド・シーモア、ジョージ・ロジャー等と、写真家の集団、「マグナム・フォト」を設立する。ヨーロッパヘ戻り、写真を本格的に撮り始める。 |
1948-50年 | 3年間アジアで過ごし、インドではガンジ一の死、中国では国民党政権最後の6ケ月ならびに共産党政権最初の6ケ月、インドネシアでは国の独立をドキュメントする。 |
1960年 | キューバのルポを撮影した後、ほぼ30年振りにメキシコへ赴き、4ケ月過ごす。その後カナダで暮らす。 |
1965年 | インドに6ケ月、その後日本に3ケ月滞在する。 |
1966年 | マグナム・フォトに作品の管理を委託し、本人は活動から退く。 |
1967年 | IBMの依頼で、「人間と機械」のプロジェクトを遂行する。 |
1970年 | 1年の準備期間を経て、パリのグラン・パレで大規模な個展を開く。アメリカでCBSニュースのために、ドキュメンタリー番組を2本製作する。 |
1974年 | デッサンに専念するようになる。 |
1981年 | フランス文化庁より、写真グランプリ賞を受賞。 |
1986年 | パレルモにて、ノヴェチェント賞受賞。 |
2004年 | 95才で亡くなる |